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メインPCをチェンジする作戦にでた。
とりあえず当面のメインマシンにするつもりのマシンはすでにあって(ショップブランドのBTOで適当なスペックにしたもの)、それを使うことにしている。本当ならこれはほにゃらら専用マシンとして活躍させるつもりなのだがどうせ予算の関係で無理だろう。
で、その際に環境を一新しようか迷っている。というかまあもうそのマシンは使っているのだがわけのわからないうちにロングランコースになったのだがその当初から環境構築を楽するためにいくつかやってきていた。
まあそれというのもノートPCはあったが、会社のものだったからで、しかもそいつが途中で吹っ飛んだものだから恐怖心も煽られ余計にそうなった。
まあ簡単に言えば普段使うソフトをあらかたアーカイブしておくだけなのだ。どうしてもインストーラが必要なもの、あったほうがいいものは別として全部適当なフォルダをつくってその中で運用して、さっと圧縮してしまう。
Document and Settingsとかユーザフォルダを使うやつはこういうときに展開してやるのが一手間かかる。だから極力そういう使い方はしないようにしている。マルチユーザ環境ではできない方法だが(自分のサブディレクトリにユーザ別設定を置くソフトなら別)自分専用という意識と使い方のユーザとプログラマは多いのでけっこうそういうソフトがある。
バックアップ体制はできればミラーリングだけでもしておきたいのだがこれも予算の都合でちょっと見送りかもしれない。とりあえずはできるだけ頻繁にバッチ処理的な方法でバックアップを取るようにする。
ノートPCをつないだら自動同期とかしてもいいけどとりあえずやらないようにする。今のところそんなにデータはないし、仕事のデータはもってこれないしな。
ソフトも一新したいとおもって久しぶりにterapadを使ったら横スクロールあたりが標準的になっていて結構よさそうだった。機能はシンプルだが軽くて結構いいかもしれない。sakuraエディタは結構えらいことになっているがterapadは今でもまだまだシンプルだ。シェアのエディタを使わない場合はいい選択肢になるかもしれない。
酒(=アルコール)というのは飲める人と飲めない人がいる。
肝臓が普段アルコールに触れていなくて活動できないということで飲めない人もいるわけだがそうではなくてモンゴロイド特有の遺伝子情報でアセトアルデヒドがまったく分解できないタイプの人間が20人に一人程度(学級で一人とか二人とかになるのだろう)いるということになっている(統計の真偽も不明だがそうなんだろう)。まあアルコールの分解には段階があるのでどこかが弱かったりするとそれで駄目なのでそこだけに注目しても駄目なのだがそれが一番有名だろう。
相手に一体化した思考を心がける私としては酒が好きな人の気持ちもわからないではない(私は下戸)。親切が仇になる場合もあるので理解してほしいのだが損とか得とかいう視点は捨てたほうがいいと思う。思う。思う。確かに楽しかったりすることを親しい人と共有できるということは嬉しいことだが本当に駄目な人にとっては「お前サリン飲めよ」と言っているようなものだといえばいいだろうか。
で、こんなことはインターネット上に本当に数多くのっていて下戸の苦しみが書かれている。そもそも縄文人(というか旧モンゴロイド)は下戸の性質がない人種であって、下戸なのは弥生系(新モンゴロイド)なのだ。日本全国で混血が進んではいるが濃度にはばらつきが間違いなくある。下戸のほとんどいない地域もあるはずでそのあたりから出張ってくると本当にわからないのかもしれない。
んで、そういう分け方をすると母親系は明らかに新モンゴロイド系の顔をしており、父親は祖父が新系統、祖母がやや旧かもしれない程度であり、祖父はまったく駄目であった。新だからぜんぜんだめということは無いのだが確率としての話で。
という与太話はいいとしてこれからが本番。
下戸かどうか医療機関で証明証を発行して欲しい。
モンゴロイドしかないものだから欧米の真似してもこんなことはできないわけでこういうものは独自にやるしかないというか現代ならやるべきだと思う。
『下戸証明書を有するものにアルコール類を勧め、或いは強要した場合禁固20年』とかそのぐらいの法律も一緒にね(ぇ
まあそんなにひどくなくても死刑とか(は無理だろうがそのぐらいの気持ちはある)、罰金10万円とかでもいいよ。殺人と同じだから10万円じゃ軽すぎるけどな。
初めて風の聖痕(かぜのスティグマ)を見ました(リンクを小説にするべきかアニメにするべきかAmazonあたりのDVDやら小説にするべきかとか悩んだけどアニメ限定なのでアニメにしました)。
あれ? なんでマクドナルド嬢がいるの? とか、特に宗主と親父(重悟と厳馬)の顔ちげーだろとか(もともと絵柄があれなのであれだが)突っ込みどころはいくつもあるが(綾乃の髪の色は大失敗だと思う)それ以前にストーリーは原作そのままながらも細部のアレンジが気に入らない。
こういった精緻な話の場合、原作の世界を忠実に再現するのが派生作品を構築する人に課せられた使命と義務であって、破壊的にするべきではないと考える。というかそれをしないと大抵失敗するわけだがまれに成功するからそれは目も当てられない。
深夜帯の放送ということもあり、これらを視聴する第一は原作ファンであろうことは容易に想像できる。ゴールデンタイム前後でもあるならともかく限定的な視聴者であることがほぼ確定状態なのであるから原作への介入はさけるべきだ(人気漫画の失敗原因は大抵これ)。
アレンジをするとするならば本当に独自の世界を構築することが必要であって、それは新たな作品を構築することよりもなまじ世界観と人物像が出来上がってしまっている層があるためによりいっそうのエネルギーを消費するとともにリスクも大きく、まず成功しないと思っていいだろう(逆に大成功する場合もあって、原作は泣かず飛ばずなのにアニメは大成功という例もある)。
で、結局は原作のファンだから言えることだが原作に忠実にして欲しかった。今回の話は暴走した和麻を綾乃が止めるという名シーン(ということにしておかなければいけない貴重なシーン)なのだが、それだけに原作の小説がフィードバックされ脳裏に浮かび上がってくる。そのたびごとに映像はいまいちなのはいいとして台詞が違ったりすると突っ込みをしつつ落胆するしかない。
原作を再現するならナレーション的な余分な部分をカットする必要があるかもしれないがカットしすぎてはいけない。変更を加えるにしても微細な変更にとどめるべきだ。
だがしかし今回見てがっかりしたのはまさにその点がなされていなかったことによる。重要な言葉は削られ、人物像に必要な言葉がまったく別の人物像を描写する言葉にすり替えられた。はっきりといえば魅力が消滅した。
最近こういった落胆が増えたように思える。まあ見る番組も少なかったり微妙な線にジャンプしたせいかもしれないが。
とにかく確実にいえること、必要なことは派生物の製作者は原作者と一体になること(もちろん比喩)、場合によっては登場人物になること、世界になることまで必要になる。その上でそれを取り込み別の形で表現することになるわけだから気軽にできることではないのは間違いない。どうにも失敗続きというか駄目なアニメが増えてきたのはこのあたりにあるのではないか。原作を取り込んだと勘違いした曲解した情報をさらに曲解してアレンジを加える場合が多すぎるのではないかと思うのだ。
あれだけ小説を読んで、メジャーなハルヒは見てないわけでコメント不能だがあれは悪くないような気がする。というか例の撲殺天使は作りがチープすぎる(背景とか)がキャラクターの捕らえ方は結構よかったように思う。ものがものだけにおおっぴらにできないからあれだがあれはどちらかといえば監督が最高にはまっていたということもあるが監督のラブとともに監督と原作者の思想の関連があるきがする。予算もなにもなさそうだがあれは全体の世界としては結構よかったと感じる。無理が目に付いたけども。
というわけで結論を言うんだけど忙しいこと、大変なこと、つらいことは承知しているつもりですが(承知しきれてるわけないだろうと怒られる程度しか承知していないだろうと思いますが)、アニメ化、ゲーム化という折には監督レベル、声レベル、脚本レベルの方たちには原作をしっかりと考察していただいて、原作が大好きな人以外はあまりかかわらないようにしたほうが一定のレベルは保たれますよ。多分。それだけだと馴れ合いムードになってよりいっそうの発展は難しいかもしれませんけど。
ThunderbirdはPortableを使っているということは書いたと思う。というかまあThunderbirdは今ひとつカスタマイズが(というかHTMLメールを使わせようとしているのはなぜなんだとか)今ひとつ気に入らないのだが(機能性その他はすばらしいと思う。ここは素直にそう思う)、国産メーラたち一番張り切っているのはSylpheedだろうか。IMAPなんかを使える子は限られてくる悲しい状態だ。
というわけでとりあえずThunderbird、OutlookがいやだからThunderbirdというひとは結構多くなると思う。
自分の状態はあれとして(Outlookは別件で個別に使っているので仕事用に別環境を構築しつついざとなったらすぐ動かせる環境がほしいなあとか、ある領域内でおさまってろよこのやろうということでThunderbirdPortableを使っているがそんなのは最近のSylpheedでも余裕でできるし、ほかにもよさげなメールソフトもいくつかあるにはあるがどうしようかなという状態なので実際実はどうしたものかといまだになやんでいる)、さあ表題の件です。
Portableは常駐させるなよという意見はあるとして、実際はPortableとして使っていないので常駐させてやりたいのだ。そのときタスクバーに居座ると殺意が芽生えるのでタスクトレイに入れたい。
そういうときはMinimizeToTrayをつかいなさい。TraybirdとかThunderbird-TrayとかもあるけどこれはThunderbirdの実行ファイルに対するスタブでアイコン化を実現しているのでPortableで使うものではない。というかつかえない。
一方MinimizeToTrayはExtensionだからPortableにも追加でき、機能するのだ。こいつはいいぜ、ひゃっほう。Traybirdばっかり宣伝されているのはvectorあたりにあるからだろうな。vectorはいつしかバージョンアップ通知などと称してユーザ登録勧誘をしまくってくるようになって嫌になってきたんだけれどもそれは別のお話。
最近はソフトバンクモバイルが好調らしい。
impressの記事によると『「基地局も増加しており、夏モデルの端末もほぼ出揃った。ホワイトプランも評価されている」と基本的な施策が好調で、「サービスが総合的に評価されているのではないか」とした。』ということだがこれが違う気がするのだ。
複雑怪奇と悪名高いソフトバンクの料金プラン(どこぞのショップ店員談)だがユーザー側の理解が深まったんだろうか。
それは違う気がする。
一般ユーザー層というよりも法人に受けているんじゃないかと思うのだ。
確かにホワイトプランは結構画期的な部分がある。まあウィルコムが完全なのに対してソフトバンクモバイルはそうでもないのだがそれはそれ、法人なら万事OK。というのも普通は仕事は日中だから安上がりにできるのだ。基本料金もオプションをつけなければ安いので(オプションをつけて他のキャリアと同等にすると安くない)法人にはうってつけだろう。
となると打撃を受けるのはドコモになると思うのだ。というのも恐らく法人の契約が多いであろうキャリアはドコモだろうからだ。これはまあ大抵の人がわかってくれると思う。
契約者数がドコモがどんどんへって、ソフトバンクがどんどん増えている背景には絶対に法人がある。まちがいない。ドコモの2007年夏ぐらいの2.0作戦は個人向けの意味合いが強い。一番画期的なのは2 in 1だが思ったほど評価されていない。あれは仕事用に使う携帯が自分の契約で自分で勝手に使うのであれば意味があるが、そこがなかなか難しいところなんだろう。うたホーダイにしても、体感なんちゃらにしても個人のホビーの色が濃い。
auが強い意味はどこにあるのかといったことも考えないといけないだろうが戦略的にみてauは個人が多く、ソフトバンクは法人が増えつつあるといったところだろうか。ドコモが悪いということは決してないのだが、というかエリアは間違いなく広いし料金も落ちてきたし面白いサービスも展開してきたんだがさすがにいつまでも5割をキープしていられるほど独壇場でもなくなって、他のキャリアもいけてきてるということだろう。
で、ウィルコムなんだがPHSの固定的なイメージがやっぱり払拭できないのが最大の難点だろう。一方でサブの端末として恋人同士が持つケースが結構多い。
emobileがこれまたがんばってウィルコムの危機感をあおれば(実際危機は間近かもしれないが)本腰を入れていろいろ動くんじゃないですかね。でも契約者数がダントツで少ないわけで競争力が無いのがつらいところかもしれない。定額を1000円ジャストぐらいで提供したらそりゃあもうサブとして持つ人が500万人ぐらい増えそうなんだが。
緑のgooですがここにもメニュー部に検索ボックスを設けてあります。しかしながらこういったものはめったに使われないだろうとも思っています。そもそもの前提がそれなので認知してもらえれば幸いということで、欲を言えばホームページにしてもらうとか、検索バーに使ってもらえればよりいいのかなと。
で、ブログのデータをこちらに移すかどうかですが、それは見送ろうと思っています。ただし、過去ログに追加することはあるかもしれません。消えるまで放置というのは心が痛みますがそんな扱いでいいのではないかなと。さらっとスクリプト処理してインポートできる形式にコンバートすればいいわけですがそこまで移行のメリットがあるかは微妙かと思いますのであしからず。
例としてテキストエディタがあるとする。
よくいわれる触れ込みに「つかえばつかうほど手になじむ」というものがある。ほほう。そうか。と思うのだが、ソフトウェア自体は使い込んでも変形してくれたりして手になじむような形状に変化したりはしない。すくなくとも勝手にすることはない。カスタマイズするというのは手になじませるために能動的にこっちがやるわけでなじむのではない。なじませるのだ。
あるいはカスタマイズしない場合はどうか。この場合でもだんだん使いやすくなると思う場合があるだろう。しかしこれは手になじんだのではなく、手がなじんだだけである。
というのはよくある話なんだが人間というのは新しいものになじむまでには結構時間がかかる。特に年を重ねるほど柔軟性が衰えて時間がかかるようになるというのは常識的になっている。
ここらへんのメカニズムは私の理解するところでは年を重ねると経験の蓄積が進んで普段の生活で新しい刺激を感じることが少なくなってくる。すると普段の生活での脳の活性が衰える。衰えると脳は堕落する(筋肉が使わないでいると衰えるのと同じ)。新しい刺激が突然きても対処できない。対処するまでにエンジンをかけて回転数をあげるまでの時間がかかる。と、こうなるわけだ。一方若いほど脳みそは活発に、かつ貪欲に吸収するからつねに高速で動いていて、楽に対応できるのだ。
で、なにがいいたいか不明ですけど、いったん覚えたことを使いまわしできない環境というのは異様なエネルギーを消費して目的が同じなら効率が悪くてしょうがないことになるがそれはそれで脳を活性化させていいのかもしれない。と思う今日この頃。
緑のgooという検索サイトができている。検索したりして使っているとgooが得た広告利益の一部を環境NGOに寄付される。検索結果はgooやgoogleと同等ということだ(ふれこみはそうだがgooはgoogleのキャッシュを使用しているが独自にやっている部分があるのでgoogleとは結構違う)。
メニューというかサイド(フルブラウザで閲覧した場合は通常そうなると思う)に検索ボックスを追加したが5時間ほど前と比べた23時現在で300ぐらい季の本数が増えている。結構ないい効果があるようだ。
このたび
www.doblog.com/weblog/myblog/28493
から移行してきました。移行を完璧にするかどうかはまだ未知ですがその予定です。
移行の理由はやはり自由度でしょうか。doblogは自由度がやや低いのでそこそこいろいろ出来そうな所に移行しようかなと。
過去ログとして忍者を使用していたからというのと、文字コードがUTF-8ということで適当に選んでみました。
UTF-8のなにがいいのかとかそんなことは置いておきますがやや安全という点ですね。逆にJISコードというのは第一水準があいうえお順、第二水準が部首順のように結構体系的に並んでいるので使いやすいのですがUTF(というかUnicode)はそうではありません。これが響くのはソートのときですから結構頻繁に影響があるのですがそれを上回る利点も結構あったりするのであまり気にしないようにします。失敗点もいっぱいあるわけですけどね。